人間の英知というもの

急遽、この前の週末に、沖縄宮古島、本島へと行ってきました。
先日、NHKのプロフェッショナルにも出ていた、沖縄の卓越した義肢技術者として知られる、佐喜真氏と議論をする事がその目的の一つでした。
私が最近強く感じている事の一つは、今の日本に存在する、人間の英知を、どのように次世代に継承するかという点です。この際、継承には、「その英知が産業として成立する」事が大事だと考えています。
それは、最近取り組んでいる農業にしても同じ事です。

ある分野に熟練した人間が持つセンシング能力とは、既存の様々なセンシングデバイスの精度を大きく上回る事はよく知られています。また、このようなセンシング能力を持った人間の英知は、この莫大なセンシング情報を整理し、どんなコンピュータでも及ばないようなデータ処理能力や予測能力を持っています。
これらの英知に、素直に感動したり、あるいはその英知を讃えたり、というのが、最近のテレビ番組や社会の動向である気がしています。でも、それでは、駄目なのです。

その英知が芸術分野に属する範疇であるのならば、その所産は作品ですので、私のアプローチも大きく変わります。しかし、その英知が社会システムの中で価値を持つような類のものであるのならば、大切な事は、その英知をどのように社会の中で役立てるかという事ではないでしょうか。そして、そのための手法の一つとして、その分野が産業としてどのようにして成立するかを考える事があるのではないかと考えています。既に産業化が成立している、あるいは可能性がある内容に関しては、私はその流れに任せれば良いと思います。産業として成立すれば、そこには人が集まります。継承者も生まれてくるでしょう。しかし、残念ながら、実際には、その英知が卓越していればするほど、産業としては成立していない状況が多い気がします。農業もそうですし、今回訪問させていただいた、佐喜真さんに関しても、様々な取り組みをされていますが、まだまだ可能性があると思っています。私が情報技術の専門家として貢献する価値があるのではないかと考えているという事です。まだ、具体的にどのような取り組みになるかはわかりませんが、実際に、佐喜真さんが作業をされている工程を実際に見学し、その後の議論を重ねました。多少の可能性は見いだせるのではないかと思っています。

とにかく、素晴らしい人間の英知を、単に賛美するという風潮だけは止めてほしい。それは、確かに、日本人が好きそうな、お涙頂戴型の番組制作にはなるでしょうが、中長期的な社会システムのビジョンには何も影響を及ぼさないどころか、社会システムの形成という観点からは、おそらく害をなすからです。

沖縄の空をみながら、考えてきました。