パネル ものを捉えるということ

11月22~23日に、六本木ヒルズで開催される慶應SFCのORF(Open Research Forum)に出展する。
23日には、宮台さん、国領さんと三名で鼎談。それの準備もこれから考えなければいけないが、とりあえずは、出展のためのパネル造りに追われている。

出展は、神成研究室として実施するので、原案は、学生の皆さんにお願いした。研究室では3つのプロジェクトを実施しているので、それぞれ1枚ずつ。それと、全体をまとめる1枚で合計4枚という予定だ。学生の皆さんがまとめてくださった文章はどれもまとまっていて、学内発表用として用いるのは問題ない。しかし、ORFは企業の方等の実社会の方々を対象としたイベント。やはり、インパクトが弱くなってしまう。そこで、自分で少し手を入れることにした。

情報を相手に伝達すると言う事を20歳前後からもっと取り組むべきだと思う。私は、よく、授業で、視野、視座、視点という話をする。これは、宮台さんとの対談本でも触れたし、私の話を聞いた事がある方の多くは既にご存じの事だと思う。「ものを捉える」ためには、この3つを依存関係のない軸として定義し、考えなければいけない。それによって、他者と自分との意見が異なった際に、その要因を分析する事も容易となるし、議論も整理されていく。これは訓練で培われる技能であり才能ではない。だから、磨かなければいけない。今回のパネルも、それを意図して学生の皆さんに作成してもらおうと思ったのだが、私自身の時間が無く、結局は自分で夜を徹して作る事になったりする。このあたりは、反省点である。。

今日の昼間に総菜を買うために出かけたのだが、そこで店の店員の手違いか、少しトラブルになった。謝ってくれるのだが、その視点が異なっているのに、その店員さん自身が気づいていない。視点だけでも一致すれば話が通じるのだが、今日は、視点が異なる。こちらの視座に気づいていないし、視野も違う。そうなると、謝ってもらえばもらうほど、お互いに不愉快な気持ちになる。店員さんも、気持ち悪そうだったが、私も含めてそこにいる客全員は、もっと不愉快な気持ちだ。形式的なマナーの限界箱のあたりにあるのだろう。もっと、ものを捉えるという事に、日常から注意深くなってもよいのではないだろうか。

酒を飲みながら、パネル原稿を作成していると、こんな事を考えたから久しぶりに書いてみました。

だけれども、まあ、それよりも、民営化された郵政公社の配達員のマナーは、もう少し何とかならないんでしょうかね。。。。宅配業者と比較すると、まあ、溜息が出るほどひどいですな。ふう。